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いつもご視聴ありがとうございます。書き忘れておりました。最澄宛、空海の返書-理趣の答案www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/kitao/new-31.htmlこのチャンネルでは、真言宗を中心に仏教仏事を解説しております。面白いと思われたら高評価、興味を持たれたらチャンネル登録お願いいたします
いつもありがとうございます。感謝します。本日2022年9月3日、元三大師会に随喜しました。如意輪供養法のあとの法話は、偶々この話題がテーマでした。導師曰く、お大師さんの「この手紙」には、人間学の根本テーマがある。つまり最澄さんは文字情報=ロゴスに囚われ過ぎ。仏法の真理はロゴスを越えたところにある…………。深いテーマですね。お大師さんの教育者としての深い弟子愛を感じます。南無大師遍照金剛Om padme cintamani jvala hum 南無大日大聖不動明王Namah samanta-vajranam canda-maharosana sphotaya hum trat ham mam南無如意輪観世音菩薩Om padme cintamani jvala hum 合掌
@@st_tec-122 様貴重なお話ありがとうございます。>最澄さんは文字情報=ロゴスに囚われ過ぎ。仏法の真理はロゴスを越えたところにあるわざわざ、真言の立場から、伝教大師は文字情報を重視した方ではないとお話ししているのに、天台系の方にこう言われてしまうと、伝教大師の立場がありませんね(*^_^*)真言系の方は、この話を引き合いに出して、面授(師から弟子に直接伝えること)が重要と語る方が多いのですが、現在の真言宗では、禅宗のような面授は重視されておりません。そもそも、弘法大師ご自身が、面授によって密教を伝えられたわけでなく、ほとんどは経典によって独修されて、最後の仕上げの部分だけを恵果和尚から学ばれています。面受の解釈については、また、お話させていただくかもしれません。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説この法話ですけど、実際は口訣の話から下ネタに発展させて、最後のオチで大爆笑という流れでした。面授の動画は楽しみにしております。ありがとうございます。感謝します。合掌
@@st_tec-122 様>口訣の話から下ネタに発展させて、最後のオチで大爆笑私はこういう話はできないので、うらやましいです(*^_^*)
仏教といえば、何やら有難い仏様を拝んで功徳を得る、くらいしか頭にない一般人です。なので、仏道の人はこんなにも奥を極めるものかと、ゆうき和尚さまの話で垣間見る、仏教の奥深さの一端に感激いたします。例えて言うと、物理や数学の教授の話を聞くようなものでしょうか。自分では分けいる気にはなれませんが、感激します。伝教大師と弘法大師とのやりとりはぞくぞくしますし、またそれから千年が経って、ゆうき和尚のような今の僧侶がまた彼らの道を通って探求をする様子に、感動いたします。これからも仏教が守られていく国であってほしいと思いました(中国のような国は宗教を認めないそうなので)。
いつもありがとうございます。>何やら有難い仏様を拝んで功徳を得るそういう説き方をされる方も多いので、誤解されても仕方ないですね(*^_^*)>垣間見る、仏教の奥深さ少しでも伝わればありがたいです。ただ、私は真言僧として素質はないので、本当の奥深い所までいけるかどうか微妙な存在です。本物の方はレベルが違います( 一一)だから、逆に一般の方にお伝えするには適当なのかもしれません。>これからも仏教が守られていく国であってほしいと思いました私もそう思います。
ありがとうございます。感謝します。この経典で説かれる、欲というのは私欲だけではなく、人のため、さらには世のためにというスタイルで持てという内容が好きです。私も蓮の花みたいに、泥沼の中に美しく咲く花でありたいと思います。南無大師遍照金剛Om padme cintamani jvala hum 合掌
いつもありがとうございます。理趣経の欲は清浄と説かれる部分は、個人的には非常に美しいと感じています(*^_^*)
一般人の仏教好きです🙇♀️ 興味深いお話を、誠にありがとうございました。伝えられているストーリーで納得しないで、真実を探るお姿、尊いです。勉強になりました。感謝申し上げます。
コメントありがとうございます。動画内でも申しましたが、疑問があったので自分で考えてみました。持論なので、一坊主の意見として参考になりましたら幸いです。
お話有難うございます毎日のお唱えの中に百字の偈もお唱えしております そもそもがRUclipsで理趣経をお唱えしているものがあり 老僧の頭導でお唱えされているその声と雰囲気といいますか、とても魅了されてしまいまして 思わずCDをAmazonで探してしまいましたそれは流派が違い仁和寺から出ている物で ただ理趣経が何なのかも知らず考えず読み方を真似ようと今に至っております浅はかな自分ではありますが自己満足なのだと思いつつ ついついお唱えしてしまいます。
コメントありがとうございます。理趣経に興味を持っていただけることは嬉しいです。一応、立場上お話しておりますが、余り気にしないでください(*^_^*)
瞑想をやってる人の方が禁煙の成功率は高いという話をきいたことがありまして、試しに私も一日二十分何も考えないようにする時間をとってみたところ、甘いものがそんなに欲しいとは思わないようになりました。瞑想をやると脳が発達するというのはこういうことかと思ったものであります。ちゃんと坐禅なり読経なりを一定期間続けて瞑想の効果により脳が発達してる人のものごとのとらえ方と、やってない人のものごとのとらえ方は違うのでしょうから脳が発達した人が観た世界はどんなものであるかという視点をもって仏道に向き合わないとみえてこないものもあるのかなぁと今回のお話をきいておもいました。
いつもありがとうございます。私自身は、かなり頭の回転が悪いです(古いCPUのパソコンみたいです)虚空蔵菩薩求聞持法も修しましたが、あまり変わらなかったですよ(*^_^*)ただ、瞑想によって考え方が違ってくると思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 瞑想するといろいろな変化が心身に出るようですが、人によって出方が違うとかあるんでしょうか。老化が遅れる効果はみればわかるので、お寺で肌がきれいな比丘や比丘尼にお会いすると読経の効果がなのかなぁと思います。天台宗のお寺の縁日で住職が護摩の後に挨拶みたいな感じで法話をなさっているのをきいていて「今年歳男です」といっておられるので「四十八歳くらいだろうか」と思いながら話をきいていたら「...還暦になりました...」というくだりでとてもびっくりした記憶があります。毎日仏壇など(私の家は仏壇がないのでお不動さんやお大師さんのお札に対してですが)を対象にして読経をすることの恩恵ははかり知れないとおもいますのでみんなもっと毎日読経すればいいのになぁと思っております。
@@kazuhiroyasumasu1117 様>老化が遅れる効果これは、むしろ日光にあたらない理由が大きいかと思います(*^_^*)日焼けと老化は反比例するようです。一方で瞑想によってゆっくりした呼吸になると考えられるので、それは老化しない理由にあたるかもしれません。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 昨日参拝したお寺の納経所におられた真言僧は僧侶は読経によって声を出すので老化が遅くなるのではないかという話をなさっておられました。やはり呼吸は大事なんですね。そのお寺は親子でやっており二回目の参拝なのですが、今回納経所で対応してくださっている息子さんの方の真言僧が、前回納経所で対応したのが自分だったか父だったかどちらだったですかねとおっしゃるので密教僧は年齢が見た目でわからない方が多く前回参拝したときに対応してくださったのがどちらだったかわからないと正直に答えたところそういう話題になりました。ちなみに、その方が高野山で修行なされた時は読経時に腹から声が出てないと叱られていたため腹式呼吸で唱えるようになったという話をなさっておられて、高野山の教え方は声が枯れにくくなる傾向があるんじゃないかとおもいました。
唯仏与仏乃能究尽諸法実相 「信なき言論煙のごとし」 「ありのまま」を「ありのまま」に捉え、言語化するのは、限界がありますね…ゆうき和尚様は、ご仏智(意)の深い深い理(ことわり)と、現実社会で用いられる知恵と、言葉にはできない智慧を、ご自身の中で、静かに確かに、ご理解されていらっしゃるのですね❣️
いつもありがとうございます。コメントいただいて光栄です。それほど深い仏教の教えを会得しているわけではありませんし、それが現実社会に活かせているわけでもありません。たぶん、真言宗の教えを言語で伝えることは無理と思います。それは、日蓮上人の教えにしても同じことが言えると思います(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様おっしゃる通りですね…軽信、生悟り、「わかったつもりの増上慢」や、「明らかに観る・達観」とは似て非なる、静観や、あきらめ(現実追従)が、「真実を感じ取る心眼」を曇らせる…ゆうき和尚様のお話(声のお力)を伺い、そんな風に思いました。いつも、気付きを与えてくださり、感謝申し上げます🥰「天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得可きか」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)
ゆうき和尚様今回も良いお話ありがとうございます😊丁寧に経典を紐解いていくお姿尊敬致します。「以心伝心」が出てきてビックリしました。真言宗でも出てくることはじめて知りました。禅宗は経典に疎いのでゆうき和尚様を通して学ばさせていただいております。
宗信和尚様わざわざ、ご視聴ありがとうございました。仏教の基本には「以心伝心」があるように思います。禅宗の方は、経典に疎いとおっしゃいますが、まさに師と弟子が一対一で伝えていくスタイルなので、師家の方のレベルまでは学べるので、必要ないと思います(*^_^*)
10月8日の和尚さまのお話にも有りましたが、法華経を基礎とする総合仏教を目指す伝教大師と密教が全て(法華経も)を含むとされる真言密教では考え方が全く異なりますから、実践者である最澄様であっても、空海様がこれ以上は貸せないとした事情設けて分かる気がした次第です。お教え有難うございました。
いつもありがとうございます。少しでも参考にしていただけたら嬉しいです。
すごく勉強になりました、単に資料を貸さなかったから仲が悪くなったとかの単純な話じゃなさそうですね・・。結局は向かう方向がそれぞれちょっと違ったからの話ですね。
コメントありがとうございます。少しでも参考になりましたら、嬉しいです(*^_^*)
ゆうき和尚は、頭が良いですね!書いてあるものを読んでいませんよね!素晴らしい御僧侶です!来年にはお会いしたいです!京都清水
いつもありがとうございます。お褒め頂いて恐縮ですが、私は頭は良くありません。特に最近は回らなくなっております(*^_^*)
ゆうき和尚の解説はよく勉強されている上に深く考えられていると毎回感嘆させられています。 さて、せっかく理趣経を扱われているので、百字偈の解説でも法話でも、和尚のお考えでも何でも動画でお話をお願い致したいと思います。敵対した同士でも、結ばれれば平和が訪れるとか、子宝を授かる喜びを神聖なものする考えは日本の古代信仰にもあり、そういったすばらしいヒンズーの考え方を取り入れた密教の魅力。もしくは日本大乗仏教、天台派?がその考えとどう折り合いをつけて来たのか、和尚のお話を伺いたいです。他には、偈には四人も高級な女性仏様が出て来るのに、母親を含め弘法大師はなぜ女性禁制を強いたのか? これこそ本当の弘法の筆の誤りではないかと思うことがあります。生身に宿った仏であっても、命魂の状態であっても区別差別するべきでは無い気がしています。どのような観点でもかまいません。急ぐ訳ではありませんので、何か思い立った折にでも。 ゆうき和尚にすばらしい覚りが訪れるよう心から祈っております。
いつもありがとうございます。理趣経の内容については、お話することは特にない感じです。おそらく、お話してもご理解いただける方は真言僧を含めても少ないでしょうし、内容自体に大した意味もありません。動画では内容はお話しておりませんが、考え方はお話しておりますので、後は各個人が自分の進む道を探っていただけたらと思います。>母親を含め弘法大師はなぜ女性禁制を強いたのか?もともと、男性と女性の出家者の戒律の数が違うことはご存じでしょう。現在の視点からすると差別と捉えられそうですが、そんなに簡単なものか?という疑問もあります。時代背景を考慮に入れたとしても、将来的には、現在の男女同権の考え方が間違いになる可能性も無きにしも非ずと私は考えております。道元禅師は女人禁制を厳しく批判されておりますが、当時としては妥当だったのではないでしょうか?
戒律の数が違うことは知りませんでした。 そもそも女性には子孫を残す本能があるため、それが情と混じり、子供に対する愛=執着を捨て去ることが出来ない為、解脱が出来ない存在と仏教では考えられていると聞いたことがあります。 百字偈を観た際、ふと思ったのですが、蓮の花のように煩悩に染まらず清らかになる教えを説いた真言をよく理解されていた弘法大師は、九度もあのキツイ坂道を往復して孝行し続けたお母さんに、息子に対する思いを捨ててもらいたくなかったのではと、弘法様も人の子だったという、心温まるエピソードに思えたのです。 ゆうき和尚の理趣経のお話をお聞きして、更に思ったのは、本能を超えようとする並大抵ではない努力は、所詮 生みの苦しみがわからない男にはちゃんと評価できないのではと。そして、本能の縛りから逸脱できるか、誣いては男女の区別さえ、見た目や(医者の判断の結果である)戸籍上からは判断できないこともわかっているので、複雑な問題かとは思いました。個人的には相反する概念でも空という言葉でアバウトに一緒に扱ってしまう仏の教えの方がしっくり来ます。 常無常の理、その通りだと思いますし、お教え頂き感謝しております。 ありがとうございます。
わかりやすい動画ありがとうございます理趣経の欲求の部分は肉体的な欲求は物質的な世界に居る以上は当然にあるでも仏教的には悟りを開いて精神的な世界へ至ろうと修行しているので欲求通りやりたい放題ではいけないと捉えればいいのでしょうか?
いつもありがとうございます。そういう説き方をされる方もおられますが、私の見解はちょっと違います。おっしゃられたお話では、おそらく、意識的に欲を捉えている感じですが、ありのままに捉えるというのは、その意識が無い感じです。すいません。上手く伝えられませんが・・・
ゆうき和尚様、いつも興味深いお話ありがとうございます。ところで梵語は独学ですよね?なんか文献も少なくどうやって学んだのかなって思っています。書き順なんて全然わかりません(-_-;)
コメントありがとうございます。梵字は独学では無いです。書き方に関しては、高野山時代に一年間習っておりますし、その後も勉強会に参加しましたし、練習もしております。サンスクリットに関しては、私自身ほとんどできません。他の方の文章を引用しております。文献に関しては、それほど多くは無いですが、私が持っているものでも、発音に関しての本もありますし、真言僧が書いた梵字の本もあります。また、サンスクリットの辞典や基本を学ぶ教科書もあります。ただ、ネックがあるとしたら、アルファベットとディバナガリー文字と梵字の変換部分でしょうか?梵字の書き方に関しては、すいません、私は教える自信はないです。法話おはなしchのチョイ悪和尚様が講座をされています。よろしかったらどうぞ。ruclips.net/channel/UCidZQB9al_FaAeBe9lR5xVg
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 ありがとうございます。あるんですね。アマゾンで書籍を探しても殆どなく、途方に暮れておりました。読めない、書けない、意味分からない(^◇^;)
@@ja8418 様梵字必携―児玉義隆 www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E5%85%90%E7%8E%89-%E7%BE%A9%E9%9A%86/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E5%85%90%E7%8E%89+%E7%BE%A9%E9%9A%86梵字としては、これが一番適当かと思います。ただ、やはりある程度知識が無いと難しいかと思います。
すみません。質問があります。理趣経の中の百字偈と、金剛サッタの百字真言は同じものでしょうか?教えていただけると幸いです。
コメントありがとうございます。金剛サッタの百字真言は、私は使ったことないですが、意味を見る限り全く別物です。また、関係があるのか調べておきます。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 ご返信ありがとうございます。実は数か月前、RUclipsでこの百字真言がサンスクリット語で唱えられており、カタカナでおこしてあったので、必死で覚えようと唱えておりましたところ、翌日、大変な悲しい出来事が起こりまして唱えてはいけない理趣経だったのかと思い、質問させて頂いたしだいです。悪い出来事も、好転の兆しと、註釈には書いてありましたが。立ち直るに かなり時間を要しましたものですから心配になりました。
@@わんこのふじこ 様大変な目に合われたようですが、立ち直られて何よりです。理趣経はお唱えしてはいけないというより、お唱えしてもさほど効果が無いと言うだけの話です。悪いことが起きるわけではありません。百字真言は瞑想に使う真言です。多分、お唱えされるだけならスタンダードな光明真言や羯諦真言の方が良いと思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 和尚様、ありがとうございました。安心しました。もう光明真言にしておきますね。本当にありがとうございましたm(__)m
こんばんは、釈迦に説法かも知れませんが、何年間前に、高野山真言宗と天台宗和解とお参りあったのでは、無いですか。
いつもありがとうございます。何年か前と言わず、私が知っている限り、真言宗と天台宗が対立していることはありません(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 こんばんは、返信ありがとうます。調べた所、2009年に、1200年ぶりに、天台宗比叡山延暦寺天台座主が、高野山真言宗金剛峰寺宗祖ご誕会に、参詣されたらしいです。
@@拓也佐々木-k3i 様貴重なお話ありがとうございます。私は知りませんでした。
アカデミックな分析をされるゆうき和尚様に質問させてください。お坊さん以外の方はお経はたいていの場合仏の前(仏壇でありますとか)で唱えるわけですが、お経は仏の教えなわけですから、「釈迦に説法」とはなりませんか?どうぞお導きください。合掌
コメントありがとうございます。アカデミックというわけでは無く、多くは珍説ですが(*^_^*)お経をお唱えされることが「釈迦に説法」とは面白いお考えですね(*^_^*)真面目にお答えしますと、僧侶がお経をお唱えする意味は、内容を理解して確認するということだと思います(実際には意味を解らないでお唱えしている方も多いですが)一般の信者の方はそれを真似したというのが、読経の始まりではないでしょうか。意味としては、法楽と言って、読経することで、それを仏様にお供えするという意味もあるかもしれませんが、仏教の教えを深く理解するための導線とも言えると思います。ただ、現実には、お唱えするのが目的になっているので、個人的な見解としては、お経よりも、真言や題目(南無妙法蓮華経)念佛(南無阿弥陀仏)の方が良いと思います。また、私自身は檀信徒の方には、漢文での読経よりも、読み下しで少しでも意味が解る方をお勧めしています。ちょっと答えになっていないかもしれませんが、少しでもご理解いただけますでしょうか。
いつもご視聴ありがとうございます。書き忘れておりました。
最澄宛、空海の返書-理趣の答案
www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/kitao/new-31.html
このチャンネルでは、真言宗を中心に仏教仏事を解説しております。
面白いと思われたら高評価、興味を持たれたらチャンネル登録お願いいたします
いつもありがとうございます。感謝します。
本日2022年9月3日、元三大師会に随喜しました。如意輪供養法のあとの法話は、偶々この話題がテーマでした。
導師曰く、お大師さんの「この手紙」には、人間学の根本テーマがある。つまり最澄さんは文字情報=ロゴスに囚われ過ぎ。仏法の真理はロゴスを越えたところにある…………。
深いテーマですね。
お大師さんの教育者としての深い弟子愛を感じます。
南無大師遍照金剛Om padme cintamani jvala hum
南無大日大聖不動明王Namah samanta-vajranam canda-maharosana sphotaya hum trat ham mam
南無如意輪観世音菩薩Om padme cintamani jvala hum 合掌
@@st_tec-122 様
貴重なお話ありがとうございます。
>最澄さんは文字情報=ロゴスに囚われ過ぎ。仏法の真理はロゴスを越えたところにある
わざわざ、真言の立場から、伝教大師は文字情報を重視した方ではないとお話ししているのに、天台系の方にこう言われてしまうと、伝教大師の立場がありませんね(*^_^*)
真言系の方は、この話を引き合いに出して、面授(師から弟子に直接伝えること)が重要と語る方が多いのですが、現在の真言宗では、禅宗のような面授は重視されておりません。
そもそも、弘法大師ご自身が、面授によって密教を伝えられたわけでなく、ほとんどは経典によって独修されて、最後の仕上げの部分だけを恵果和尚から学ばれています。
面受の解釈については、また、お話させていただくかもしれません。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説
この法話ですけど、実際は口訣の話から下ネタに発展させて、最後のオチで大爆笑という流れでした。
面授の動画は楽しみにしております。
ありがとうございます。感謝します。合掌
@@st_tec-122 様
>口訣の話から下ネタに発展させて、最後のオチで大爆笑
私はこういう話はできないので、うらやましいです(*^_^*)
仏教といえば、何やら有難い仏様を拝んで功徳を得る、くらいしか頭にない一般人です。
なので、仏道の人はこんなにも奥を極めるものかと、ゆうき和尚さまの話で垣間見る、仏教の奥深さの一端に
感激いたします。例えて言うと、物理や数学の教授の話を聞くようなものでしょうか。自分では分けいる気には
なれませんが、感激します。伝教大師と弘法大師とのやりとりはぞくぞくしますし、またそれから千年が経って、
ゆうき和尚のような今の僧侶がまた彼らの道を通って探求をする様子に、感動いたします。
これからも仏教が守られていく国であってほしいと思いました(中国のような国は宗教を認めないそうなので)。
いつもありがとうございます。
>何やら有難い仏様を拝んで功徳を得る
そういう説き方をされる方も多いので、誤解されても仕方ないですね(*^_^*)
>垣間見る、仏教の奥深さ
少しでも伝わればありがたいです。
ただ、私は真言僧として素質はないので、本当の奥深い所までいけるかどうか微妙な存在です。
本物の方はレベルが違います( 一一)
だから、逆に一般の方にお伝えするには適当なのかもしれません。
>これからも仏教が守られていく国であってほしいと思いました
私もそう思います。
ありがとうございます。感謝します。
この経典で説かれる、欲というのは私欲だけではなく、人のため、さらには世のためにというスタイルで持てという内容が好きです。
私も蓮の花みたいに、泥沼の中に美しく咲く花でありたいと思います。
南無大師遍照金剛Om padme cintamani jvala hum 合掌
いつもありがとうございます。
理趣経の欲は清浄と説かれる部分は、個人的には非常に美しいと感じています(*^_^*)
一般人の仏教好きです🙇♀️ 興味深いお話を、誠にありがとうございました。
伝えられているストーリーで納得しないで、真実を探るお姿、尊いです。
勉強になりました。感謝申し上げます。
コメントありがとうございます。
動画内でも申しましたが、疑問があったので自分で考えてみました。持論なので、一坊主の意見として参考になりましたら幸いです。
お話有難うございます
毎日のお唱えの中に百字の偈もお唱えしております そもそもがRUclipsで理趣経をお唱えしているものがあり 老僧の頭導で
お唱えされているその声と雰囲気といいますか、とても魅了されてしまいまして 思わずCDをAmazonで探してしまいました
それは流派が違い仁和寺から出ている物で ただ理趣経が何なのかも知らず考えず読み方を真似ようと今に至っております
浅はかな自分ではありますが自己満足なのだと思いつつ ついついお唱えしてしまいます。
コメントありがとうございます。
理趣経に興味を持っていただけることは嬉しいです。一応、立場上お話しておりますが、余り気にしないでください(*^_^*)
瞑想をやってる人の方が禁煙の成功率は高いという話をきいたことがありまして、試しに私も一日二十分何も考えないようにする時間をとってみたところ、甘いものがそんなに欲しいとは思わないようになりました。瞑想をやると脳が発達するというのはこういうことかと思ったものであります。
ちゃんと坐禅なり読経なりを一定期間続けて瞑想の効果により脳が発達してる人のものごとのとらえ方と、やってない人のものごとのとらえ方は違うのでしょうから脳が発達した人が観た世界はどんなものであるかという視点をもって仏道に向き合わないとみえてこないものもあるのかなぁと今回のお話をきいておもいました。
いつもありがとうございます。
私自身は、かなり頭の回転が悪いです
(古いCPUのパソコンみたいです)
虚空蔵菩薩求聞持法も修しましたが、あまり変わらなかったですよ(*^_^*)
ただ、瞑想によって考え方が違ってくると思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 瞑想するといろいろな変化が心身に出るようですが、人によって出方が違うとかあるんでしょうか。
老化が遅れる効果はみればわかるので、お寺で肌がきれいな比丘や比丘尼にお会いすると読経の効果がなのかなぁと思います。天台宗のお寺の縁日で住職が護摩の後に挨拶みたいな感じで法話をなさっているのをきいていて「今年歳男です」といっておられるので「四十八歳くらいだろうか」と思いながら話をきいていたら「...還暦になりました...」というくだりでとてもびっくりした記憶があります。
毎日仏壇など(私の家は仏壇がないのでお不動さんやお大師さんのお札に対してですが)を対象にして読経をすることの恩恵ははかり知れないとおもいますのでみんなもっと毎日読経すればいいのになぁと思っております。
@@kazuhiroyasumasu1117 様
>老化が遅れる効果
これは、むしろ日光にあたらない理由が大きいかと思います(*^_^*)
日焼けと老化は反比例するようです。
一方で瞑想によってゆっくりした呼吸になると考えられるので、それは老化しない理由にあたるかもしれません。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 昨日参拝したお寺の納経所におられた真言僧は僧侶は読経によって声を出すので老化が遅くなるのではないかという話をなさっておられました。やはり呼吸は大事なんですね。
そのお寺は親子でやっており二回目の参拝なのですが、今回納経所で対応してくださっている息子さんの方の真言僧が、前回納経所で対応したのが自分だったか父だったかどちらだったですかねとおっしゃるので密教僧は年齢が見た目でわからない方が多く前回参拝したときに対応してくださったのがどちらだったかわからないと正直に答えたところそういう話題になりました。
ちなみに、その方が高野山で修行なされた時は読経時に腹から声が出てないと叱られていたため腹式呼吸で唱えるようになったという話をなさっておられて、高野山の教え方は声が枯れにくくなる傾向があるんじゃないかとおもいました。
唯仏与仏乃能究尽諸法実相 「信なき言論煙のごとし」 「ありのまま」を「ありのまま」に捉え、言語化するのは、限界がありますね…
ゆうき和尚様は、ご仏智(意)の深い深い理(ことわり)と、現実社会で用いられる知恵と、言葉にはできない智慧を、ご自身の中で、静かに確かに、ご理解されていらっしゃるのですね❣️
いつもありがとうございます。
コメントいただいて光栄です。
それほど深い仏教の教えを会得しているわけではありませんし、それが現実社会に活かせているわけでもありません。
たぶん、真言宗の教えを言語で伝えることは無理と思います。それは、日蓮上人の教えにしても同じことが言えると思います(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様
おっしゃる通りですね…
軽信、生悟り、「わかったつもりの増上慢」や、「明らかに観る・達観」とは似て非なる、静観や、あきらめ(現実追従)が、「真実を感じ取る心眼」を曇らせる…
ゆうき和尚様のお話(声のお力)を伺い、そんな風に思いました。
いつも、気付きを与えてくださり、感謝申し上げます🥰
「天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得可きか」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)
ゆうき和尚様
今回も良いお話ありがとうございます😊丁寧に経典を紐解いていくお姿尊敬致します。「以心伝心」が出てきてビックリしました。真言宗でも出てくることはじめて知りました。
禅宗は経典に疎いのでゆうき和尚様を通して学ばさせていただいております。
宗信和尚様
わざわざ、ご視聴ありがとうございました。
仏教の基本には「以心伝心」があるように思います。禅宗の方は、経典に疎いとおっしゃいますが、まさに師と弟子が一対一で伝えていくスタイルなので、師家の方のレベルまでは学べるので、必要ないと思います(*^_^*)
10月8日の和尚さまのお話にも有りましたが、法華経を基礎とする総合仏教を目指す伝教大師と密教が全て(法華経も)を含むとされる真言密教では考え方が全く異なりますから、実践者である最澄様であっても、空海様がこれ以上は貸せないとした事情設けて分かる気がした次第です。
お教え有難うございました。
いつもありがとうございます。
少しでも参考にしていただけたら嬉しいです。
すごく勉強になりました、単に資料を貸さなかったから仲が悪くなったとかの単純な話じゃなさそうですね・・。
結局は向かう方向がそれぞれちょっと違ったからの話ですね。
コメントありがとうございます。
少しでも参考になりましたら、嬉しいです(*^_^*)
ゆうき和尚は、頭が良いですね!書いてあるものを読んでいませんよね!素晴らしい御僧侶です!来年にはお会いしたいです!京都清水
いつもありがとうございます。
お褒め頂いて恐縮ですが、私は頭は良くありません。特に最近は回らなくなっております(*^_^*)
ゆうき和尚の解説はよく勉強されている上に深く考えられていると毎回感嘆させられています。 さて、せっかく理趣経を扱われているので、百字偈の解説でも法話でも、和尚のお考えでも何でも動画でお話をお願い致したいと思います。
敵対した同士でも、結ばれれば平和が訪れるとか、子宝を授かる喜びを神聖なものする考えは日本の古代信仰にもあり、そういったすばらしいヒンズーの考え方を取り入れた密教の魅力。もしくは日本大乗仏教、天台派?がその考えとどう折り合いをつけて来たのか、和尚のお話を伺いたいです。
他には、偈には四人も高級な女性仏様が出て来るのに、母親を含め弘法大師はなぜ女性禁制を強いたのか? これこそ本当の弘法の筆の誤りではないかと思うことがあります。生身に宿った仏であっても、命魂の状態であっても区別差別するべきでは無い気がしています。どのような観点でもかまいません。
急ぐ訳ではありませんので、何か思い立った折にでも。 ゆうき和尚にすばらしい覚りが訪れるよう心から祈っております。
いつもありがとうございます。
理趣経の内容については、お話することは特にない感じです。おそらく、お話してもご理解いただける方は真言僧を含めても少ないでしょうし、内容自体に大した意味もありません。
動画では内容はお話しておりませんが、考え方はお話しておりますので、後は各個人が自分の進む道を探っていただけたらと思います。
>母親を含め弘法大師はなぜ女性禁制を強いたのか?
もともと、男性と女性の出家者の戒律の数が違うことはご存じでしょう。
現在の視点からすると差別と捉えられそうですが、そんなに簡単なものか?という疑問もあります。
時代背景を考慮に入れたとしても、将来的には、現在の男女同権の考え方が間違いになる可能性も無きにしも非ずと私は考えております。
道元禅師は女人禁制を厳しく批判されておりますが、当時としては妥当だったのではないでしょうか?
戒律の数が違うことは知りませんでした。 そもそも女性には子孫を残す本能があるため、それが情と混じり、子供に対する愛=執着を捨て去ることが出来ない為、解脱が出来ない存在と仏教では考えられていると聞いたことがあります。 百字偈を観た際、ふと思ったのですが、蓮の花のように煩悩に染まらず清らかになる教えを説いた真言をよく理解されていた弘法大師は、九度もあのキツイ坂道を往復して孝行し続けたお母さんに、息子に対する思いを捨ててもらいたくなかったのではと、弘法様も人の子だったという、心温まるエピソードに思えたのです。 ゆうき和尚の理趣経のお話をお聞きして、更に思ったのは、本能を超えようとする並大抵ではない努力は、所詮 生みの苦しみがわからない男にはちゃんと評価できないのではと。そして、本能の縛りから逸脱できるか、誣いては男女の区別さえ、見た目や(医者の判断の結果である)戸籍上からは判断できないこともわかっているので、複雑な問題かとは思いました。個人的には相反する概念でも空という言葉でアバウトに一緒に扱ってしまう仏の教えの方がしっくり来ます。
常無常の理、その通りだと思いますし、お教え頂き感謝しております。 ありがとうございます。
わかりやすい動画ありがとうございます
理趣経の欲求の部分は
肉体的な欲求は物質的な世界に居る以上は当然にある
でも仏教的には悟りを開いて精神的な世界へ至ろうと修行しているので欲求通りやりたい放題ではいけない
と捉えればいいのでしょうか?
いつもありがとうございます。
そういう説き方をされる方もおられますが、私の見解はちょっと違います。
おっしゃられたお話では、おそらく、意識的に欲を捉えている感じですが、ありのままに捉えるというのは、その意識が無い感じです。
すいません。上手く伝えられませんが・・・
ゆうき和尚様、いつも興味深いお話ありがとうございます。ところで梵語は独学ですよね?なんか文献も少なくどうやって学んだのかなって思っています。書き順なんて全然わかりません(-_-;)
コメントありがとうございます。
梵字は独学では無いです。書き方に関しては、高野山時代に一年間習っておりますし、その後も勉強会に参加しましたし、練習もしております。
サンスクリットに関しては、私自身ほとんどできません。他の方の文章を引用しております。
文献に関しては、それほど多くは無いですが、
私が持っているものでも、発音に関しての本もありますし、真言僧が書いた梵字の本もあります。
また、サンスクリットの辞典や基本を学ぶ教科書もあります。
ただ、ネックがあるとしたら、アルファベットとディバナガリー文字と梵字の変換部分でしょうか?
梵字の書き方に関しては、すいません、私は教える自信はないです。
法話おはなしchのチョイ悪和尚様が講座をされています。よろしかったらどうぞ。
ruclips.net/channel/UCidZQB9al_FaAeBe9lR5xVg
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 ありがとうございます。あるんですね。アマゾンで書籍を探しても殆どなく、途方に暮れておりました。読めない、書けない、意味分からない(^◇^;)
@@ja8418 様
梵字必携―児玉義隆
www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E5%85%90%E7%8E%89-%E7%BE%A9%E9%9A%86/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E5%85%90%E7%8E%89+%E7%BE%A9%E9%9A%86
梵字としては、これが一番適当かと思います。
ただ、やはりある程度知識が無いと難しいかと思います。
すみません。質問があります。理趣経の中の百字偈と、金剛サッタの百字真言は
同じものでしょうか?教えていただけると幸いです。
コメントありがとうございます。
金剛サッタの百字真言は、私は使ったことないですが、意味を見る限り全く別物です。
また、関係があるのか調べておきます。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 ご返信ありがとうございます。
実は数か月前、RUclipsでこの百字真言がサンスクリット語で
唱えられており、カタカナでおこしてあったので、必死で覚えようと
唱えておりましたところ、翌日、大変な悲しい出来事が起こりまして
唱えてはいけない理趣経だったのかと思い、質問させて頂いたしだいです。
悪い出来事も、好転の兆しと、註釈には書いてありましたが。
立ち直るに かなり時間を要しましたものですから心配になりました。
@@わんこのふじこ 様
大変な目に合われたようですが、立ち直られて何よりです。
理趣経はお唱えしてはいけないというより、お唱えしてもさほど効果が無いと言うだけの話です。
悪いことが起きるわけではありません。
百字真言は瞑想に使う真言です。
多分、お唱えされるだけならスタンダードな光明真言や羯諦真言の方が良いと思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 和尚様、ありがとうございました。
安心しました。もう光明真言にしておきますね。
本当にありがとうございましたm(__)m
こんばんは、釈迦に説法かも知れませんが、何年間前に、高野山真言宗と天台宗和解とお参りあったのでは、無いですか。
いつもありがとうございます。
何年か前と言わず、私が知っている限り、真言宗と天台宗が対立していることはありません(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 こんばんは、返信ありがとうます。調べた所、2009年に、1200年ぶりに、天台宗比叡山延暦寺天台座主が、高野山真言宗金剛峰寺宗祖ご誕会に、参詣されたらしいです。
@@拓也佐々木-k3i 様
貴重なお話ありがとうございます。
私は知りませんでした。
アカデミックな分析をされるゆうき和尚様に質問させてください。お坊さん以外の方はお経はたいていの場合仏の前(仏壇でありますとか)で唱えるわけですが、お経は仏の教えなわけですから、「釈迦に説法」とはなりませんか?どうぞお導きください。合掌
コメントありがとうございます。
アカデミックというわけでは無く、多くは珍説ですが(*^_^*)
お経をお唱えされることが「釈迦に説法」とは面白いお考えですね(*^_^*)
真面目にお答えしますと、僧侶がお経をお唱えする意味は、内容を理解して確認するということだと思います(実際には意味を解らないでお唱えしている方も多いですが)
一般の信者の方はそれを真似したというのが、読経の始まりではないでしょうか。
意味としては、法楽と言って、読経することで、それを仏様にお供えするという意味もあるかもしれませんが、仏教の教えを深く理解するための導線とも言えると思います。
ただ、現実には、お唱えするのが目的になっているので、個人的な見解としては、お経よりも、真言や題目(南無妙法蓮華経)念佛(南無阿弥陀仏)の方が良いと思います。
また、私自身は檀信徒の方には、漢文での読経よりも、読み下しで少しでも意味が解る方をお勧めしています。
ちょっと答えになっていないかもしれませんが、少しでもご理解いただけますでしょうか。